記事を執筆した弁護士

弁護士法人ルミナス法律事務所 東京事務所
弁護士 大橋 いく乃

早稲田大学大学院法務研究科卒業。最高裁判所司法研修所修了後、弁護士法人ルミナス法律事務所に加入し、多数の刑事事件・少年事件を担当。第一東京弁護士会刑事弁護委員会・裁判員裁判部会委員、刑事弁護フォーラム事務局、治療的司法研究会事務局等を務める。無罪判決、再度の執行猶予判決等を獲得。精神障害を有する方の刑事弁護に注力しており、医療・福祉の専門家と連携した弁護活動に積極的に取り組んでいる。

目次

1.訴訟能力鑑定とは
2.訴訟能力とは
3.医師の意見、鑑定
4.訴訟能力が問題になる事案と弁護活動
5.おわりに

 

 

「心神喪失で無罪」「心神耗弱で減刑」などといった報道を、日々の生活の中で耳にしたことがある方は、決して少なくないでしょう。

 

これらのフレーズは、被告人の刑事責任能力について、専門家による精神鑑定を行った結果を参考に、裁判所が刑事裁判を通して判断した内容です。

 

実は、この「刑事責任能力」の他にも、精神鑑定を参考に裁判所が判断するものがあります。

それは、「訴訟能力」です。

刑事責任能力と比べるとケースが非常に少ないものの、適切な刑事弁護を行う上では、見過ごせないポイントになります。

 

今回は、この「訴訟能力」を判断するための鑑定、すなわち「訴訟能力鑑定」について、分かりやすく解説いたします。

 

 

訴訟能力鑑定とは

訴訟能力鑑定とは、被告人に訴訟能力があると認められるかどうか、裁判所が判断をするため、刑事訴訟法314条に基づいて実施する鑑定のことです。

 

【刑事訴訟法】

314条

第1項 被告人が心神喪失の状態に在るときは、検察官及び弁護人の意見を聴き、決定で、その状態の続いている間公判手続を停止しなければならない。但し、無罪、免訴、刑の免除又は公訴棄却の裁判をすべきことが明らかな場合には、被告人の出頭を待たないで、直ちにその裁判をすることができる。

第2項 被告人が病気のため出頭することができないときは、検察官及び弁護人の意見を聴き、決定で、出頭することができるまで公判手続を停止しなければならない。但し、第284条及び第285条の規定により代理人を出頭させた場合は、この限りでない。

第3項 犯罪事実の存否の証明に欠くことのできない証人が病気のため公判期日に出頭することができないときは、公判期日外においてその取調をするのを適当と認める場合の外、決定で、出頭することができるまで公判手続を停止しなければならない。

第4項 前3項の規定により公判手続を停止するには、医師の意見を聴かなければならない

 

314条は、被告人が精神障がいであったり入院中で公判廷に出頭できなかったりするとき(第1項・第2項)、即ち刑事裁判で被告人として相当な防御を行うことができないときに、被告人の防御権を尊重し公正な裁判を担保するため、公判を停止することとしています。

そして、実際に公判手続を停止するためには、医師の意見を聴かなければならないと定めています(第4項)。ここで、訴訟能力鑑定が登場するのです。

 

 

訴訟能力とは

刑訴法314条1項「心神喪失」

上述のように、刑訴法314条中で「心神喪失」と規定されていますが、これは、刑法39条1項に規定されている心神喪失(刑事責任能力:先ほどの「心神喪失で無罪」における心神喪失)とは異なります。

 

刑訴法314条1項にいう「心神喪失」とは、判例によれば、「被告人としての重要な利害を弁別し、それに従って相当な防御をすることのできる能力、すなわち訴訟能力を欠く状態」(最高裁平成7年2月28日決定)であるとされています。

 

このような訴訟能力が被告人に存在することが、公正な裁判を行うにあたっては不可欠です。刑事責任能力は事件当時の被告人の精神状態が問題になりますが、訴訟能力は裁判を行っている現時点の被告人の精神状態が問題になります。

 

訴訟能力の内容

訴訟能力は、訴訟行為の有効要件である「訴訟行為能力」と、公判手続の続行に耐えうる能力である「訴訟遂行能力」に分けて議論されてきました[1]

裁判所は、訴訟能力(特に訴訟遂行能力)について、最判平成10年3月12日刑集52巻2号17頁で、以下のように判示して、その有無を判断しました[2]

 

「被告人は、重度の聴覚障害及びこれに伴う二次的精神遅滞により、訴訟能力、すなわち、被告人としての重要な利益を弁別し、それに従って相当な防御をする能力が著しく制限されてはいるが、これを欠いているものではなく、弁護人及び通訳人からの適切な援助を受け、かつ、裁判所が後見的役割を果たすことにより、これらの能力をなお保持していると認められる。」

 

上記判決では訴訟能力はあると判断されました。

上記事件の被告人は先天性の重度の聴覚障がいを持っていて、これまでの生活で言語を習得する機会がなく、「意思疎通の手段としては、独自性の強いわずかな手話と表情、身振り、動作に依存せざるを得ない状態」にあり、意思疎通能力に重い障害があるとされました。しかし、被告人はこれまでの裁判経験から自身の置かれた状況を理解し、また、理解可能な挙動による手話通訳で黙秘権の告知を受け、黙秘権の内容を理解して、供述したり場合によっては供述を拒否することを通して、自己の決めた防御方針にしたがって訴訟遂行をできていたと判断されました[3]

 

同判決において、訴訟能力には、一般的・抽象的・言語的な理解能力や意思疎通能力までは不要で、弁護人や通訳人から適切な援助を受け、また、裁判所が後見的に配慮をすることによって、具体的・実質的・概括的な理解能力や意思疎通能力があるといえれば足りるとされています[4]

 

被告人が一人で裁判を受けるには意思疎通能力や理解能力の点で十分でないところがあるとしても、それが弁護人・通訳人による適切な援助・裁判所による配慮によってカバーされるのであれば、訴訟能力があると認定されているのです。もっともその「援助」や「配慮」をどこまですることが許容され、訴訟能力があるものとされるかは確たる基準があるものではありません。

 

 

医師の意見、鑑定

公正な裁判を行うため公判を停止するにあたっては、314条4項により、裁判所は医師の意見を聴かなければならないとされています。

 

「医師の意見の聴取」(同項)については、鑑定が必ず求められているわけではないので、裁判所が適当と認める方法で医師から意見を聴けば良いとされています[5]。もっとも、実務上、訴訟能力鑑定を行うケースが多いように思います。

 

裁判所が訴訟能力鑑定の実施を決定した場合、裁判所は刑訴法165条に基づき、専門家に鑑定を命じます。裁判所が鑑定人に依頼する鑑定事項は、主に障がい・病気の内容、裁判手続きを理解する知的能力、言語などのコミュニケーション能力、これらの能力が回復する可能性の有無・程度等です。

そして、鑑定のため、裁判所は、刑訴法167条により被告人を病院など適切な機関に留置することができます。

その後、意見書(鑑定書)提出、さらに必要と認められれば医師の尋問を行うことで意見聴取が行われる流れとなります。

 

 

訴訟能力が問題になる場合の弁護活動

数の少ない訴訟能力鑑定

アメリカでは刑事手続の中で実施される司法精神鑑定のうち多くが訴訟能力鑑定となっています[6]が、日本では、刑事責任能力鑑定が行われることは多い一方で、訴訟能力についての精神鑑定は、あまり多くありません。

 

これには、日本が起訴便宜主義を採用していることが関係していると考えられます。

訴訟能力鑑定の主な対象は、事件を起こしてしまった精神障害を有している方です。そういった方について、日本においては、検察官によって心神喪失に当たると判断されほとんどが不起訴処分になっています。訴訟能力が問題となる公判段階以前に刑事手続から除外されているため、そもそも訴訟能力が問題になるケースが少ないのです[7]

 

 

どのような事案でどのような弁護活動が必要となるのか

それでは、弁護人は依頼者の方の訴訟能力に留意する必要はないのでしょうか?決してそんなことはありません。

 

まずあり得る事案として、統合失調症や認知症など、起訴後、病状が悪化し、事後的に訴訟能力を欠くような事案があり得ます。捜査段階では、ある程度普通にお話しできていたにも関わらず、留置施設という特殊な環境による過度な精神的負担等も相まって、精神状態が急激に悪化し、公判において、自身がどのような立場に置かれているのかといった最低限の認識すら欠けてしまうようなケースです。

このような事案においては、起訴後の状況を具体的に裁判所に伝え、必要があれば実際に裁判官の面前で最小限の被告人質問をするなどして、裁判所に訴訟能力鑑定をすべく訴えます。

 

一方で、知的障害などにより、起訴当時より訴訟能力がなかったと考えられる事案も存在します。こういった事案では、少なくとも捜査段階において、検察官としては訴訟能力ありと判断していることになります。そのため、弁護人としては、なぜ検察官がそのような判断をしたかという点を検討します。特に知的障害等の精神障害を有する方は、極めて被誘導性が高いにも関わらず、取り調べにおいて、その点の配慮がなされないまま聴取が行われ、捜査官の描く筋書き通りの事案として処理されてしまっていることもあります。このような場合、ご本人の供述調書も、極めて合理的な内容となっていることがほとんどです。捜査を担当する検察官が訴訟能力(ないし責任能力)に問題があり得ると考え、起訴前鑑定をしていたとしても、同調書を前提に(取り調べ状況の録音録画映像などまでは確認しないまま)作成された供述調書の内容を本人が語ったものとして考え訴訟能力ありという方向の意見を述べることもあり、そのような観点からも、起訴前の鑑定書の内容を慎重に検討し、裁判所に再度の訴訟能力鑑定の必要性について訴えることとなります。

 

どのような事案においても、弁護人は、現時点での依頼者の方の精神状態をしっかりと見極め、訴訟能力に疑いがあると考えた場合には、協力医の力を借りながら、裁判所に対し、訴訟能力鑑定など医師の意見聴取を求めていくべきであると考えます。

 

 

「訴訟能力がない」と判断された後は?

訴訟能力がないと判断した以上、裁判所は決定により公判を停止しなければなりませんが、その後は一体どうなるのでしょうか。

 

確かに公判は停止し、裁判が開かれることはない状態となりますが、それにより被告人の地位がなくなるわけではありません。裁判が終結したわけではないからです。

しかし、精神障害により、訴訟能力の回復可能性がほとんどない・回復の見込みがないのに、いつまでも被告人の地位にとどめたまま放置することは、事案の真相を解明し刑罰法令を適正迅速に適用・実現するという刑訴法の目的(1条)に合致しないうえ、デュー・プロセスの観点からも妥当ではありません[8]

 

たしかに、このような場合について、刑事訴訟法は具体的な定めを置いていません。

しかし、本来であれば、公判請求をした検察官が公訴を取り消して事件を終結させ、被告人の地位から解放するべきです。弁護人としては、検察官に対し、公訴取消しすべきと強く申し入れるべきでしょう。

 

しかし、それでも、いつまでも検察官が公訴を取り消さなかった場合、裁判所は検察官が取消しをするまで何もすることができずに、被告人は不安定な状態におかれたままになるのでしょうか。その点が問題となったのが、以下の最高裁平成28年12月19日決定です。

 

最高裁平成28年12月19日決定

本件は、統合失調症に罹患していた被告人が、神社の境内で面識のない2人を文化包丁で刺殺したとして、殺人・銃刀法違反で起訴された事件でした。

統合失調症に罹患した被告人は心神喪失の状態にあり訴訟能力を欠くとして、第一審の時点で約17年間にわたり公判停止となっていました。この間、幾度にもわたる弁護人からの公訴取消しの申し入れや裁判所からの公訴取消しの検討について、検察官は繰り返し公訴を取り消さない旨主張。非可逆的で慢性化した統合失調症の症状に脳委縮による認知機能の障害が重なっており、訴訟能力の回復の見込みがない本件において、第一審の裁判所は自ら公訴棄却の裁判をすることができるかどうかが問題となりました。

 

本判決は、訴訟能力が認められず公判が停止された被告人について、訴訟能力の回復の見込みがない場合、裁判所が自ら公訴棄却の判断をすることができると初めて示しました。

 

起訴後、訴訟能力が争いとなる場合、この公判停止が長期間(事案によっては10年以上も)続く場合があることは、弁護人として、軽視できない問題です。また、このことは精神鑑定を行う精神科医も問題視しており、訴訟無能力方向の意見を述べるにあたり、留意している事項のようです。訴訟能力がないと判断された事案を担当した弁護人は、回復の見込みがない場合にはすぐに検察官に公訴を取り消させる、もしくは裁判所に公訴棄却の裁判をさせるべく、尽力するべきです。

 

おわりに

精神障害を有する方の弁護をするにあたって、訴訟能力や責任能力に問題がないかという点は、慎重に検討しなければなりません。あくまでも弁護士は精神医学の素人であることを自覚したうえで、協力医の意見をいただきながら、各種能力に疑義があると考えた事案においては、臆せず鑑定等の必要性を主張すべきであると考えます。

上述の通り、たしかに日本において訴訟能力が問題となるケースは多くありませんが、弊所では、起訴後訴訟能力を争い、検察官に公訴を取消させ、公訴棄却を勝ち取った経験があります。

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これからも、弊所弁護士一同、刑事責任能力だけでなく、訴訟能力を含めて、精神司法鑑定についてより一層理解を深めてまいります。

精神障害を有するご家族が逮捕勾留されてしまった、起訴されてしまったという場合には、是非弊所までご相談ください。

 

[1] ブルース・J・ウィニック「刑事被告人の訴訟能力-アメリカにおける訴訟能力論と治癒法学的展開-」『成城法学』第84号,2015年6月,100頁。

[2] ブルース,前掲註1・101頁。

[3] 最判平成10年3月12日刑集52巻2号17-24頁。

[4] 友田博之「外国人被告人の訴訟能力と刑事責任能力」『新・判例解説Watch』29号,2021年10月,200頁。

[5] 条解刑訴法,710頁。

[6] 清井幸恵「米国における訴訟能力と責任能力」『判例タイムズ』1202号,2006年4月.105頁。

[7] 清水,前掲註9・106頁。

[8] 伊藤睦「精神疾患のため17年間公判が停止されていた被告人につき、訴訟能力の回復の見込みがないとして手続を打ち切った事例」『新・判例解説Watch』16号,2015年,185-187頁。