記事を執筆した弁護士
弁護士法人ルミナス法律事務所 横浜事務所
弁護士 南里 俊毅
上智大学法科大学院入学後、司法試験予備試験・司法試験合格。最高裁判所司法研修所修了後に、弁護士法人ルミナス法律事務所横浜事務所に加入し、多数の刑事事件・少年事件を担当。神奈川県弁護士会刑事センター運営委員会・裁判員裁判部会委員、刑事弁護フォーラム事務局等を務める。逮捕・勾留からの早期釈放、示談交渉、冤罪弁護、公判弁護活動、裁判員裁判等、あらゆる刑事事件・少年事件に積極的に取り組んでいる。
目次
1.司法取引とは |
2.日本版司法取引 導入の背景 対象犯罪 協議・合意の内容 合意の方法 偽証に対する罰則 |
3.日本版司法取引の問題点 |
4.日本版司法取引の運用 |
5.おわりに |
司法取引とは
司法取引とは[1]、被疑者や被告人が、自らの犯罪を認めたり、他人の犯行についての情報を提供したりした場合に、自らの犯罪について有利な取扱いを受けることのできる制度をいいます。前者を「自己負罪型」、後者を「捜査・公判協力型」などと言います。
日本では捜査・公判協力型の司法取引のみ導入されており、特定の財政経済・薬物犯罪等において、被疑者被告人が供述や証拠の提出といった協力をする代わりに、検察官から不起訴や刑事責任の減免を保証してもらう制度(=協議・合意制度)が設けられています。これは日本版司法取引と呼ばれることもあります。
日本版司法取引
導入の背景
協議・合意制度(日本版司法取引)は、2010年に発覚した大阪地検特捜部の証拠品改ざん事件を始めとする冤罪事件をきっかけに、刑事司法制度改革の一環として導入されました。
組織的な犯罪等においては、首謀者の関与状況等を含めた事案の解明を図るため、犯罪の実行者などの組織内部の者から供述を得ることが必要不可欠な場合が多いとされていますが、捜査機関がそのような供述を得るために、強引な取調べを行うことも多く、結果として数々の冤罪事件が発生してきました。
このような事態に対する反省から、取調べに依存した捜査の在り方を見直し、手続の適正を担保しつつ、事案の解明に資する供述を得ることを可能にする新たな手段として、協議・合意制度が導入されました。
対象犯罪
協議・合意制度の対象となる犯罪は、一定の財政経済関係犯罪および薬物銃器犯罪のうち、死刑または無期の拘禁刑に当たらないものとされています(刑訴法350条の2第2項)
具体的には、贈賄罪・詐欺罪・恐喝罪・背任罪・横領罪・租税に関する法律違反・独禁法違反・金商法違反・覚醒剤取締法違反・大麻取締法違反・銃刀法違反などの罪が対象となります。殺人や性犯罪などは被害者感情を考慮して対象から外されています。
協議・合意の内容
検察官は、被疑者被告人が、他人の刑事事件について協力行為をすることにより得られる証拠の重要性、関係する犯罪の軽重及び情状、当該関係する犯罪の関連性の程度その他の事情を考慮して、必要と認めるときは、被疑者被告人が協力行為をし、かつ検察官が被疑者被告人の事件について有利な取り扱いをすることを内容とする合意をすることができます(刑訴法350条の2)。
協力行為とは、以下の行為をいいます(刑訴法350条の2第1項1号)。
有利な取り扱いとは、以下の行為をいいます(刑訴法350条の2第1項2号)。
① 公訴を提起しないこと
② 公訴を取り消すこと
③ 特定の訴因及び罰条により公訴を提起し、又はこれを維持すること
④ 特定の訴因若しくは罰条の追加若しくは撤回又は特定の訴因若しくは罰条への変更を請求すること
⑤ 論告において、被告人に特定の刑を科すべき旨の意見を陳述すること
⑥ 即決裁判手続の申立てをすること
⑦ 略式命令の請求をすること
合意の方法
被疑者・被告人が有利な取扱いを求めるあまり、虚偽の供述をして第三者を巻き込む事態が生じないよう、合意を成立させるかどうかの協議の段階から弁護人が関与することが必要であり、合意を成立させるためにも弁護人の同意が必要とされています(刑訴法350条の3第1項・350条の4)。
そして、合意は、検察官・被疑者被告人および弁護人が連署した書面(これを「合意内容書面」といいます)により、その内容を明らかにすることとされています(同条第2項)。
偽証に対する罰則
被疑者被告人が合意に違反して捜査機関に対して虚偽の供述や偽変造の証拠の提出をするようなことがあると、協議・合意制度の適正な運用が阻害されてしまいます。
そこで、合意に違反して検察官、検察事務官又は司法警察職員に対し、虚偽の供述をし又は偽造若しくは変造の証拠を提出した者は、5年以下の拘禁刑に処するとされています(刑訴法350条の15第1項)。
日本版司法取引の問題点
協議・合意制度は、巧妙に行われ証拠が残りづらい組織犯罪等において、証拠を収集するための突破口として大きな役割を果たすことが期待される制度と言えます。他方で、合意主体である被疑者被告人が有利な取扱いを受けるために虚偽の供述をし、無実の人を巻き込む可能性があるという問題点や、捜査機関が供述を得るために利益誘導をすることによって、黙秘権が侵害される危険性等が指摘されています。
そのため、①合意に基づく供述が他人の公判で用いられるときは、合意の内容が記載されている書面が、当該他人にも裁判所にも明らかにされること(刑訴法350条の8・350条の9)、②合意に向けた協議・合意の成立については、弁護人が必ず関与すること(刑訴法350条の3・350条の4)、③合意に反する虚偽供述等に対する罰則(刑訴法350条の15)など、一定の手当が講じられています。
日本版司法取引の運用
報道によれば、実際に協議・合意制度が適用された事例は多くなく、導入から5年で適用されたのはわずか3つであるとされています[2]。
適用事例の中には、協議・合意制度により得られた供述の信用性が争われたケースもあります。その一つである東京地裁令和3年3月22日判決は、協議・合意制度が適用された対象者の供述について、「客観的な裏付けを欠き,争われている部分については,信用性判断に際して相当慎重な姿勢で臨む必要があると考えられ,極力,争点における判断材料として用いない」と判示しました。
おわりに
協議・合意制度は、証拠収集が困難な組織犯罪等の真相解明につながることが期待されます。しかし、上述したように、協議・合意制度には、合意主体の被疑者被告人が虚偽の供述をし、無実の人を巻き込む可能性があるという問題点などが存在します。弁護人としては、協議・合意制度が用いられた場合の効果や証拠の扱いについて、適切に把握・想定し、無実の人を巻き込み、かえって真相解明を害さないよう注視することが必要不可欠です。
[1]朝日中高生新聞 2018年6月17日「日本版「司法取引」がスタート」
https://www.asagaku.com/chugaku/newswatcher/12903.html
[2]読売新聞 2023年6月7日
https://www.yomiuri.co.jp/national/20230607-OYT1T50042/
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